2009年7月29日 10:52
明朝体文字と原稿用紙のルーツ
江戸時代、中国でも有名な僧侶で黄檗宗を開いた隠元が日本に渡来する時全巻6.956巻もの膨大な数の経典(一切経)を携えてこられたそうです。
当時の日本では書物や貴重な経典は一時づつ書写する外なかったのですが、1669年、この一切経の版木を作り、印刷する事を志した鉄眼禅師が隠元より、萬福寺の山内に寺地と大切な経典を授かり、蔵版及び印刷所として建立したのが、宇治にある萬福寺の塔頭宝蔵院です。
鉄眼禅師は授けられた経典から6万枚の版木を開版し、現在でも尚それが、ここ宝蔵院の収蔵庫に国の重要文化財の指定を受け、保管され、収蔵庫の一番奥では、職人さんにより刷り続けられています。
現在、仏教各宗派で使われるお経はどれもこの経典(一切経)のうちにふくまれているそうで、日本国内だけでなく海外にまで送られているとか。
又、版木に彫られている文字は広く使用されている明朝体の元となっており、版木そのものは400字詰原稿用紙と同じ仕様です。
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