2008年4月30日 16:40
紫式部のお勤め先は一条院です!!(平安京北辺二坊一町.四町)
源氏物語の作者紫式部は一条天皇の中宮である藤原道長の娘彰子に女房として仕えていましたが、その当時一条天皇は内裏が焼亡した為、母である円融天皇女御藤原詮子(道長の姉)の邸を修造し里内裏として使用していました。
ここは一条院と呼ばれ一条天皇の代には内裏が三度も焼亡した為、999年の一度目の焼亡より
1011年の崩御まで里内裏として使用され続け、東の別棟には道長、彰子父娘の宿泊所が設けられていたとの事です。
この一条院は一条天皇時代の文化サロンの舞台であり、紫式部が自身の日記に書いている内裏とはこの一条院の事でここが紫式部のお勤め先だったのです!!
(チョットびっくり!でも西陣は紫式部とのゆかりがふかいんやねえ〜 !!)
一条院は一条天皇の後、後朱雀天皇や後冷泉天皇の御所にもなっていました。
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