2008年4月17日 16:08
紫野 雲林院
雲林院は市バス大徳寺前で下車し、南へ少し下がった所にあります。
平安時代この付近一帯は広大な荒野で狩猟も行われていました。
淳和天皇はここに広大な離宮(紫野院)を造営し、都度々行幸されたと言います。
桜や紅葉の名所としても知られ華やかな歌舞の宴も行われ貞観11年(869)に百人一首の歌人の一人として有名な僧正遍照を招き雲林院と呼ばれ官寺となりました。
僧正遍照は一説によるとあの小野小町の百夜通いのお相手である深草少将が実は彼であったとも云われています。
境内には小倉百人一首に選ばれた歌の石碑が立っています。
天つ風 雲の通ひ路 吹きとぢよ
をとめの姿 しばしとどめむ
歴史物語の「大鏡」や「源氏物語」「伊勢物語」にも登場し特に「源氏物語」には光源氏の亡き母桐壺の更衣の兄の律師が入寺しており、悩み多い光源氏が訪れ数日この寺にこもったとあり「伊勢物語」にちなんだ謡曲「雲林院」も有名です。
僧正遍照が入寺していた頃は著名な大伽藍でしたが南北朝の頃から荒廃、現在は当寺と観音堂を残すのみとなっています。
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