2010年8月
2010年8月18日 15:37
一生懸命の力
私の尊敬する 京セラ創業者の稲盛和夫氏の話に「一生懸命の力」と言うことを聞いた。
「神は、一生懸命な人に力をかしてくださる」と・・・なぜか、いつまでも心に残るひとことだった。
「輪廻転生」私達は生まれ変わるのですよね。そのため何をするのか、今を一生懸命に生きるしかない。
こんな話がある。良寛さんは若い頃岡山のあるお寺で厳しい修行をしていた。同門に仙桂さんと言う人がいて、お経も読まずただただ畑を耕していた。取るに足りない坊主と思っていた。良寛さんが歳を経て、厳しい修行ばかりが「悟り」でなく日々の生活の中にあるものだと思ったとき、仙桂さんを思い出した。彼は欲のない不満や嫉妬のない生活ののなかにひたすらな生き方の素直さや正直さに善をみいだした。というお話がある。私も何も楽しみはないが、毎日冨田屋に出向きひたすら守るためにお客様に喜んでいただくために一生懸命頑張っています。神は力をかしてくださるかな・・・心の中の自分と向き合い、人のことを羨まずニコニコとするべきことをして生きる。 まさしく一生懸命に・・・
2010年8月17日 16:00
桃源郷
「桃花源記(とうかげんき)」 陶淵明著 に描かれた桃源郷とは、漁師が迷子になって進んでいくと、限りなく続く桃の花が咲く美しい林を見つけた。吸い込まれるように入っていくと、戦いを逃れた人々が、素晴らしく美しい村で楽しそうに暮らしていた。あくせくしない平和な暮らし。人里はなれたユートピアのことを桃源郷と言うようになった。その漁師は、その理想郷を探して訪れようとするが二度と見つけることが出来なかった。こんな話がミュージアムになった。トンネルを抜け、橋を渡って美術棟へ。この橋、トンネルが我々のすむ世界とは違う、別世界へといざなう。すなわち Shangri-La 【シャングリラ】。これはいわば桃源郷って意味で、MIHO MUSEUM通信の名前にもなっています。花が咲き誇る頃に訪れるとこの世のものと思われない。
夢なのか現(うつつ)なのか、お盆が過ぎてほっとしたのか、昼寝覚に物憂いけだるさ。桃源郷を見たような気がする。一昨年行ったミホ美術館なのか、見も知らない中国のユートピアなのか。二度と見ることの出来ない夢なのでしょう。探しても見つからない、偶然がもたらす心の安らぎなのでしょう。
★西洋のシャングリラは、ヒマラヤのミステリアスな永遠の楽園
2010年8月16日 16:18
京都のお盆と花
2010年8月13日 23:22
泣いて生まれてから・・・
私の誕生のときは、周りの人は笑って私だけが泣いて生まれてきたんですよね。
それから、いろんな笑える楽しいことや、涙のでる悲しいことを繰り返し人生という道を突き進む。
あるときは、生きることに疲れたり、あるときは、愛情に包まれ又一つの命を授かるような喜びが笑顔を作ってくれる。泣いているのは生まれた子供だけ・・・毎日毎日こんなに泣いたり笑ったり、家族や友達が支えてくれる人生。「幸せって何だっけ。何だっけ」
そう、自問自答する。人間が集ると「ねたみや嫉妬」があるのは仕方ないのでしょうか?でも、人のために何かを1つ1つ積み重ねて「徳」を積む。若いときからのお友達は人柄を理解してる、でも年齢を積み重ねてあった人の考えは読みにくいもの。誤解やすれ違いが真の心を開かせない。でも、いい友や周りに恵まれて、何とか助けてもらって一歩一歩困難を乗り越えて頂上を目指して歩いていく自分かいる。頂上は雲の上か、いまだ見えない。しかし登っていく。正しいかどうか確信もないままに・・・頂上なのか7合目なのか人生には終わりがあるはず。そのときは、私だけが笑っていて、周りは皆泣いているんだろうな。
人生「泣いて生まれてたんだから、笑って死のう」土口お坊が書いておられる。
2010年8月10日 14:52
夏のしつらえ
冨田屋の簾(すだれ)に足代(あじろ)に葦障子(よしずしょうじ)の奥座敷は、ほんとに夏らしい風物詩。
見ているだけで涼しさを演出上手。エアコンより温度は暑いでしょう。でも、風が流れるたびに簾がゆれる。
すだれを通しての目が庭の緑を透き通らせる。草木の匂いは戸口から葦の障子を潜り抜けて縁側に消えていく。足代は足元にひんやり感を伝えてくれる。昔は「花氷」を置いたんでしょうか?花などを入れたまま凍らせ、氷に封じ込めたいつまでも美しく咲き誇った氷花。座敷において氷を通した風が冷たい・・・
水の中に咲く「水中花」も目が夏を感じさせる、そして心に涼やかな潤いを与えます。耳から感じる音の優しさや夏ふさわしい響きは「風鈴」。キーンという高音は、まるで夏の虫の鳴き声にも聞こえる。我が家で出てくる「涼を呼ぶ」夏の風物詩も、ちまたではだんだん見かけなくなってきた。気持ちだけでも涼しく考えた昔から、現代では、エアコンが快適な温度を保ってくれる。情緒がなくなったのか、季節を忘れたのか、快適なのか・・・考える。
昔の人は、ほてるような体でも、心は涼しかったかな?冷えすぎるぐらいエアコンをきかせた現代の部屋の中にいる人々は、心も冷えすぎていませんか?奥座敷で簾を見つめながらうちわを仰ぐ私がいた。